パリ13区―ストリートアートの街へ

2018年03月04日(日) アート 

パリは良く知られているように、パリの中心を1区としてそこからカタツムリのように螺旋形に順次番号が振られて20区まであります。その中のパリ13区の最近の動きをご紹介します。

 

多種多様な文化が集うパリ13区

パリ13区は、セーヌ川の南側に接する地域です。1970年から再開発が進みました。このためともすると安手の高層住宅ができたりと、必ずしも経済的あるいは文化文明的に恵まれた地区とはこれまで言われてきませんでした。

 

しかしこう断言するのも難しいもので、その辺はパリの多様性ということを考えると一概には言えません。

 

パリ13区には、ゴブラン織りの古い学校もあれば、最新の国立図書館もあります。 そのほか、国立化学物理学生物学学校、国立高等工芸学校、国立高等電気通信学校といったグランゼコールや、イタリア広場の南に面している総合施設グラン・エクランもパリ13区にあります。グラン・エクランは日本人の丹下健三が設計したことで有名です。 ピアフが歌い世界的に有名になった『Sous Le Ciel De Parisパリの空の下』の中で歌われているベルシー橋もここパリ13区にかかっています。 有名なキュリー夫妻がパリ13区のグラシエール通りの24番地に住んでいたのが1896年から1900年の間ですが、彼らはその時にラジウムを発見しています。

 

知的・文化的な側面もたくさんあるのですが、そうはいってもパリ13区というのはブルジョワの地とはみなされてきませんでした。こうした区のイメージに対し、自分たちの区に活気を与えようという意志が集い始め、区役所や住民が主体的に地区の活性化を考えました。

 

 

“ストリートアートの街”というアイデンティティ

その結果、区全体をストリートアートにしてしまおうというアイデアが出てきたのです。

一部のアーティストは、パリ13区を猛烈に愛してきました。この長所をさらに伸ばしていこうと決まったのです。

もともとアーティストたちの活動から、2009年以来、パリ13区では急激にストリートアートが発展し始めていました。ここにさらに政治的意思が作用して、13区のイメージを改善してゆこうという機運が大きく働き始め、区全体が創作のスペースと化したのです。

 

今日では区の活性化という目的よりもはるかに大きなうねりとなり、多くの旅行者たちをひきつける青空ギャラリーが次々と誕生しています。

多くのクリエーションが毎日のように生まれ、住民たちも吊り足場の上で仕事をするアーティストたちを見るのが当たり前の光景になってきています。

 

スペインのストリートアーティストOKUDAが最近モナ・リザをベネシー広場の壁に完成しています。バラク・オバマの肖像を実現したシェパード・フェーリーやコナー・ハ―リントンも13区で活発に仕事をしています。すでに13区に住んでいるアーティストチュニジア系のミス・ティックなども活発な活動を展開しています。

 

ストリートアートでは社会問題もよくテーマとして取り扱われますから、子供たちが抱き合い、紙の船が移民たちの不確で危うい状況を表現する絵なども見られます。反権力も表現するストリートアートを、政治的意思で活性化するというパラドックスも非常に面白い化学反応を生み出しているといえましょう。

 

13区は今ではストリートアートの愛好家にとって避けて通れない区となっています。 創作の情熱が胎動となり、人々をひきつけ、エネルギーが渦巻く画期的な地区となっています。

 

たたき続けることで堅牢な鉄ができあがるように、ぶつかりあうエネルギーはパリ13区をどのように変化させていくのでしょうか。今後が楽しみです。

 

テーマ:パリ13区、ストリートアート、地域の活性化